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深い眠りを妨げられたから、あたしは酷く不機嫌にハカセを見やった。 「うなされていたよ」 嘘ばっかり。あたし、今夢など何も見なかったわ。言うとハカセは少しだけ困った顔をした。あたしはその顔をもっと見たくて、ねぇ、歌を歌って。そう言ってせがむと、彼は少しだけ窓を見上げた。 「もうお昼だよ」 わかってるわ、そんなこと。あたしはひんやりとしたシーツの中、体を縮ませてハカセを見る。彼はあたしの目から逃れるように視線を彷徨わせていたけれど、それも一分も続かなくて、結局またあたしを見た。 「もう、お昼だよ」 同じ言葉を繰り返して(だけど、一度目のときよりも、もう、に力を入れていた)彼はあたしに起きるように促す。いや、歌ってくれるまで起きない。あたしはくすくす笑いながら、また彼に言う。 「……困ったな」 彼は本当に困った顔をして、しばらく何かを考えていて。あたしが欠伸を一つし終えると、彼は目を瞑ったまま、小さく歌い出した。 それは遠い昔、どこかで口ずさんだ故郷の歌。もう、思いだすこともできないほど、遠い遠い、昔の話。
9.9 / 2005.03.02
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あなたにあげられるものなど、あたしは何も持っていないから、せめて、あなたの発した言葉だけは忘れないように。 あなたの浮かべた表情だけは、忘れないように。
9.8 / 2005.03.02
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「わからないヤツだ」彼はそう言って、あたしを一瞥した。彼のその目はひどくあたしを馬鹿にしていて、あたしはその目がひどく好きだった。 「わからない? なにが?」 あたしがそう問えば、彼は必ず頭に血が上るみたいで、かっとなって手をあげる。一つ二つ三つ。アザができて、口の中には血が。「馬鹿にするな」そう言いながら、あなたがあたしを馬鹿にしているんでしょ? そう言うと、また彼はあたしに手をあげた。 あたしは思う。 彼はきっと、ひどく独りぼっちなのだと。可哀想なほど深い沼の中、たった一人で怖いのだろうと。人を傍に寄せ付けない風を装って、本当は一人が怖くて寂しくて、だからこうしてあたしに振るう暴力で、人が傍にいることを実感したのだと。 彼はどう思うのだろう。 あたしが全て、わかった上で言っているということを。あたしは全て、わかった上で笑っているのだと。 たぶん彼は、どこまでも独りだ。
9.7 / 2005.03.02
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あたしはあたしでしかないから、あたし以外になりようがない。他の人に期待するなど、全く馬鹿げてるわ。 人はだって、期待するほど優しくはないし、落胆するほど怖いものではないもの(つまりそれは、自分だけを信じているのと同義だということ)
9.6 / 2005.03.02
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瞬時に世界へと繋がる。画面上にちかちかと瞬く文字。不必要な言葉ばかり。欲しい言葉など何一つ、あたしは見つけることもできなくて(あなたに繋がらないのなら、一体あたしは何のために)
9.5 / 2005.03.02
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例えば、あなたに会いたい、と願うことは、そんなにも罪な願いだろうか。
9.4 / 2005.03.02
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カーテンを引くと、目も覚めるほどの真っ白な世界が現れた。きらきらきらきら、昇り始めた日の光に反射して、結晶が輝く。 目を覆いたくなった。 世界がこんなにも綺麗で輝いていて、それなのに(あたしは結局、影の中でしか生きられないのかもしれない)
9.3 / 2005.02.22
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遠のく意識の中で、誰かがあたしの名を呼ぶのを聞く。目を開けるのは億劫で、微睡みにたゆたう幸福を手放したくなくて、あたしはただ、深く息を吐いた。 そしてまた、暖かくて残酷な、夢の続きが始まる。
9.2 / 2005.02.22
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あの人がどこへ行ったのか、あたしは知る術もなく途方に暮れている。
9.1 / 2005.02.22
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珍しくなにもない日。曇り空。低い気温。葉の無くなった街路樹が、寒そうに枝を揺らしている。 なにしに来たの。あたしがそう聞くと、あの人は少しだけ顔をゆがめた。 「会いに来ちゃ、いけなかった?」 そういう訳じゃないけど。そう言おうと思った瞬間、あたしはあの人の腕に絡め取られる。「会いたかった。もうずっと、君のことを考えてた」髪に顔をうずめて、小さい低い声で囁く。 本当? 意地悪ね。そんなこと、あたしが信じるとでも思っているの? あたしは知ってる。あの人の興味が、常に新しい物へと脈動するさまを。それはまるで羽ばたき。新しい風を取り込むかのように、あの人はすぐにあたしのことなど忘れてしまう。 「会いたかったんだ。ずっと、ずっと」 だからあたしは抱きしめる。こうしてまたあたしの元へと来たあの人が、何かに破れたことを知っているから。ただ、抱きしめる。
9.0 / 2005.02.03
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二月になってしまった。
8.9 / 2005.02.03
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